宮城県亘理町のことと、これからのこと。後編は考えたこと中心。走り書き。
4月15日前後の活動中心に書いた前編はこちら。http://yukinco00.sakura.ne.jp/berangkat/?p=755


亘理は社協やVC(ボランティアセンター)がとてもよく動いていて、人の繋がりもシステムも
スタッフの皆さんの笑顔や元気な声とともに回っている。
彼ら彼女らの心のこもった配慮に、本当に驚いた。とてもあたたかく一致団結した地域。

けれど、それでも津波被害をうけた場所は、一体どれだけの人がいたら足りるのだろう。広すぎる。

支援場所に向かうまでは、街は一見とても普通。仙台駅もオシャレした高校生が歩いているし、
亘理町も一見日常風景が広がってた。驚くほど。スーパーにも物は潤沢にある。
でも、常磐自動車道の土手を超えると景色は一変。ここがイチゼロの世界を作っていた。
今回の被災は、大きく平野部かリアス式海岸かで様子が分かれる。
亘理を含む仙台平野以南は、波が沿岸から数キロにわたるまで届いている。
そしてどこもおなじく、高速などの土手で遮られている。
だから街の中での温度感も、全然ちがうのだ。
今後この差をどう乗り越えて地域一つでまちをつくっていくかが課題になる気がした。

庭には自動販売機が転がり、道ばたに船、お墓に車がつきささり、
道路脇に積み上げられた瓦礫は誰も持っていけずにそのまま。1ヶ月経ったのにこの状態。


1日7~9人かかりでも、1つの家を5分の1も片付けできない。
だって、ほんとうに、泥と、流れてきたゴミやガレキが各家を埋めた状態。
波の跡は1階の屋根の下あたりについていた。ここは波が落ち着いたラインで、
実際は2階部分まで達していたとのこと。


亘理町みたいに県外受け入れをしているところは
比較的組織が循環して中枢機能が回っているところ。そして明らかに、外の人手を求めている。
ひとつひとつの家を綺麗にしていくのを、被災した方々だけで行うには途方も無い被害。
当時はボランティアに向かうこと自体、被災地にとっていいのか、
果たして役に立てるのか、という空気が東京にはあった。
でもね、きちんと人手が必要だと発信しているところを見つけて、
積極的に向かうべきだと思った。

時間のある大学生は行ったらいいし、社会人も週末だけでも十分役に立つ。
何ができるかな…って悶々してるなら、笑顔で働きに来るだけで価値がある。(覚悟と準備をして)

受け入れしていないところでも、この時点では人手が足りている場所なんてないと感じた。
マネジメント体制がないのが理由のほとんど。

▼いま必要なこと
一番感じたのは、中枢でマネジメントする人材。
この広さでこの被害。ひとつき経っても、直後と見まごう状態。
直後の復帰と、今後の復興へ向けたシナリオづくりを、長期滞在してマネジメントできる人か、
マネジメントの形を短期でつくって 地域に引き渡せる人材が本当に必要だと思った。
どこがやれるんだろう、、、周りのNPOの方々もすごく動いている。
現地の情報を潤沢に持っているNPOと、情報発信の仕組みに長けている団体と。
どちらもがマッチングできればいいのだけど。(聞いてみよ)

例えば、家のなかの泥を掻きだしても、この家がまた使えるのかどうか
資金の援助がいつどれぐらいあるのか、誰もわからない。
どんな手続きで家が再建されるのか、どかしたガレキは誰がいつ持っていってくれるのか。
被災地の方とボランティアによって、沢山のご自宅が少しずつ綺麗になっているのは事実。
ただ、ガレキの置き場所なんて町のなかに元々ないのだから、
誰かの敷地に入ってしまって時々いさかいもおきる。

その道筋や時期のめどが示せるだけで、
既に前を向いている町のひとたちは、一層安心できるのでは と思った。

そしてそこまで、今の時点で自治体がカバーするのは難しいと感じた。

▼私たちができること

各自の今住む場での役割を全うしながら、よりよい社会へ向けて創造すること
ということを、皆続けてると思う。
それに加えて現地でも手助けをと考える人は、
まずひとつは、直後のマンパワーとして、県外受け入れをしている場所や、

声が届いていないところを探して支援に行くこと。明るく元気に。

そしてもう一つ、もっと大事なのが、その地域のファンとして
何度でも足を運び長くつきあうこと。

今回の震災で、地域の産業もかなりの打撃をうけている。
だから一度だけでなく何度でも足を運んで、その地域を応援し続けることが出来たらと思う。
遊びにもボランティアにも行くこと。新たなファンをつくるために、友人達を誘っていくこと。
応援者やいちファンとして明るく寄り添っていくことが、私たちにできることではないだろうか。

頼もしい友人や知人のNPOたちが、震災後からずっと被災地で支援活動を続けている。
彼ら現地のコーディネーターと連携して、
約20人ほど、人手が必要な場所に案内させていただいた。
まずは少しでも、必要なところに、その人の装備に合わせた必要な人を、
ということをつなげていけたらと思う。とくにGW後。
出身の都市計画研究室でも、OBOG集まって、議論と提案を続けている。

▼これからのこと
一つは、ゆるくでもいいから、継続して現地に
人が行く形をつくりたいなと思う。これから長い先、続くように。

そしてもう一つ、住宅に関すること。仮設住宅から本設住宅までの流れを、木材ふくめて
よりよいものにしていく手助けができたら、、と思う。
住宅に携わる者として、安心する家が失われた方々の声が、
すごく堪えた。私が堪えてどうするんだって思うけど、
何ができるだろうって途方に暮れた。

このふたつは知人たちと構想中なので、なにか形ができたらお伝えさせてください。

被災地に行って改めて確認したのは、「ひとの繋がり」の大切さ。
たとえば復帰フェーズのいまも、
そこに住まう人が永く顔見知りでいたか、新しい人達が集まった場所かで
助け合いの様子やいさかいの大きさが全然ちがった。

震災直後の東京で、一人暮らしの若者たちが
互いの家を行き来して連絡をとり、助け合う様子をみて、
こんなに無理して色んなエネルギーを使って、

それぞれが独立して住まってきた意味ってなんだろう って思った。
この1ヶ月半、繋がりを作ることは、すごくすごく再確認した。

建築・まちづくりに携わっていくものとして、できることは沢山あるし
自分のなかの指針を確認した気がする。

いま創られていくものが、きっとこれからの大きなヒントになっていくんだろうね。

そしてGW!ベトナムに行ってまいります。
現地に住む友人たちに会いに、研究室の研究対象地を訪れに。
なんと2月に予約していたチケットよりも、4月のほうが安くなっているという衝撃。

めいっぱい楽しんできて、帰ってまたしっかり働きますーー

春ということもあって、最近沢山の友人たちの岐路があった。
場所は変わっても、これからもそれぞれの場所で
チーム戦でやっていけたらいいな。

http://yukinco00.sakura.ne.jp/berangkat/?p=755

投稿者 yukinco

“何度でも足を運ぶこと :後編” に1件のフィードバックがあります

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です