震災後に一度もポストをしていなかったけど、徐々に記録をあげていこうと思います。
走り書きだけど、 まずは、宮城県亘理町のについて。ここで活動する
友人のことと、支援に行った時のこと、考えたこと、これからのこと。


前編は、4月15日前後に亘理町に支援に行った時の具体的な動き。
装備や作業内容もまとめているので、これからボランティアに向かう方に
少しでも参考になれば。
後編に、町全体のようす、考えたこと、これからのことなど。
http://yukinco00.sakura.ne.jp/berangkat/?p=801

3月下旬、報道では「県外のボランティアは行くのを待ってください」と一律報道されていたけど、
震災直後から続々被災地に入って支援やコーディネートを続ける
友人たちから届く話とは全然違う。

明らかに人手を求められている場所もある。
東京での仕事や役割をしっかり続け、夜は東北にいる友人たちのレポートを読む、
なんだか次元を行き来しているような感覚の毎日。

周りには、(私はじめ)今の東京での仕事や役割を積み重ねながらも、
「現地でも何か支援できることはないか?今自分達になにができる?」と悶々する友人達。

このギャップを埋めて、必要な方向にみんなの想いや力を使える糸口がないかな、
そのためには自分が動いて実感を持つのが一番じゃないかな、
と思って、束の間だけど週末の支援に向かいました。

ふりかえってまとめると、こんなことをしたいと考えてた。
・実質的な支援をすること(週末ボランティア)
・人手が必要なところを探して、まず自分たちが行くことで、
東京で悶々する周囲の人達のルートをつくること

・状況を知り、自分たちがこれから出来ることを考えること

頼もしい友人たち6人誘って金曜夜に向かったのが、4月15日のこと。
震災から約1ヶ月。

行こうと思ってから3週間も経ってた。
ここからは、これから行く方のための活動レポート。



場所は、友人たちが支援に入っているひとつ、宮城県亘理町。
【温泉宿に滞在するボランティア@亘理町】という活動を、白石出身の友人が続けている場所。
http://blog.livedoor.jp/mattsun00/
県外からのボランティア参加の敷居を下げて、その方に亘理町周辺の宿に泊まっていただくことで
予約が減る宿の支援も実現しよう、というもの。ちょっとずつ輪を広げている。

亘理町は県外ボランティアを受け入れている数少ない地域で、
そして相対的には被害が小さかったとして、ほとんど報道されてなかった。
公共交通機関を乗り継いでなんとか辿りつける(結局レンタカーを借りることにしたけど)。
(今は、仙台→亘理町 まで常磐線が開通してるから、仙台から40分ほどで到着できる。)

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■亘理町での装備・作業内容まとめ

▼装備
作業着、長靴、強いゴム手袋、リュック、食料、水、
メガネ(ゴーグル級のものもあるとよかった。天気によっては風と砂埃が想像を超えてた)、
帽子、寝袋(ある人)、車(私が行った時点では交通機関も不自由だった)

あと、みんなから預かったスキンケア用品やファブリーズなど、お漬物等塩気のあるもの。
亘理町VCでは工具系はストックしている と広報されていたので、最低限の装備として。
VCで、その日必要な工具・・スコップやクワ、すき、レンチ、ノコギリ、土を運ぶ一輪車などを見繕って
支援先のご自宅に軽トラで運びます。



みんなから受け取ったスキンケア用品、ご自宅に戻った方(支援物資がまわりにくい)と
自衛隊のおふろにお渡ししました。ありがとうーー^^
「届けてくれた皆にも報告せなな、写真とろうとろう」と言ってくださったおばちゃんたちと。

▼VC~作業内容
朝8時半にVC(ボランティアセンター)に集まって、その日に依頼がきている案件を
読み上げる。数十件ほど。
前日から継続の人は、だいたい前日と同じ方のおうちに向かう。
毎日入れ替わり知らない人が来るのは、それだけで気疲れすると思う。

こちらも効率的な支援が行えるし、家主さんにとってもらくちん。
神戸で被災経験がある方や、東京からは減っていると言われていた外国人も集まってた。
そして現地では原発の話題は一切なし。それどころじゃなし。(亘理町は福島に近い)

1日目は、神戸から車に泊まりこんで支援にきているおじさんと(阪神大震災の被災者)、
2日目は、被災&原発影響地域といわれている福島の地域から支援にきている会社員3人組と
チームを組んで作業に向かった。


2日とも、津波被害にあったお宅の泥の掻きだし、家の片付けを手伝ってきた。
主な内容は、こんなところ。
・家の中の泥や汚れた家財などの運び出し、畳の撤去
・運びだされた家財、家の周りのガレキの撤去
・庭に積もった泥の掻きだし(庭に10~20センチくらい、ずーっと積もっている)

基本的にとても力仕事。
でも、女子でもできることはあるし、
家財やお皿の汚れを落とすお仕事もある。
伺ったお宅では、家の庭に流れてきた自動販売機を
通りがかりの自衛隊を呼び止めてクレーンで動かしてもらったり、
倒れて通路を邪魔している木を処分したり、、、などなど。
自衛隊との距離の近さにびっくり。
持って行けばよかったと思ったのはゴーグル。メガネでもOK、コンタクトよりまし。
場所や天気によっては砂埃が尋常じゃないのだ。
お昼には顔に砂が積もって、目が開けていられないほどだった。

お昼は、自分たちでもちよったものや、
一緒にチームを組んだ福島の方達と即席炊き出し。支援に行ったかたが大工さんで、
簡易テーブルも一気にできあがって、おでんや麺を作って食べました。
この時はまだ、避難所に野菜とか塩気のものとかが少なかったらしく、
福島からいらっしゃったみなさんの機動力や配慮に感服。
子供たちと家主のおじさんと、わいわい卓を囲んだ。
お昼の時間、おじさんが津波がきたときのことを話してくれて、
なにも言えず、ただただ聞いていた。
一日でなんもなくなっちまうんだからねえ、って。

何も言えなかったけど、でも目の前の物理的な問題を
お手伝いすることは、少しでも前に進むための力添えになるっていうこと、
そして何度でも笑顔で会いに来たいっていうことを思った。


夜は友人の活動の一環で、温泉宿に泊まった。
亘理町に住まい支援を続ける人も、全国から集まった支援者も

皆でその日感じたこと、短期的に改善できること、
長期でどう支援して、どうまちづくりをして盛り上げていくかを話しあった。
先をみて、こういう場を地域でつくっていける友人が、すごいと思った。
私は私の立場と距離感から、できることを続けていきたい。

後編へ http://yukinco00.sakura.ne.jp/berangkat/?p=801


投稿者 yukinco

「何度でも足を運ぶこと 宮城県亘理町:前編」に2件のコメントがあります

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